亜人は死ぬのか?【断頭で頭が新しく作られること=死とは】

亜人

(桜井画門『亜人』3巻26p)

 

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くろやんです。

不死身の死なない亜人でも、ある状態では死ぬと定義されています。

それが『断頭』、胴体から頭を切り離すことだそうです。
なかなかショッキングなグロい話ですね(;´∀`)

 

自分なりに断頭についてまとめてみました。
哲学的なわけのわからない真面目腐った話になるので、注意してください。

あと、断頭について最新話で詳しい説明があったので、少しだけそれに触れています。

 

以下、原作のネタバレあります。

 

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亜人は頭も新しく作られる

3巻研究所で、佐藤が圭に断頭の話をします。

 

亜人は遠くに行き過ぎた体の部位は回収できず、新しく作られる。
もしそれが頭だった場合、どうなるか?

他の部位と同様に新しい頭が作られる。
離れた頭部はそのまま。

 

「新しくできた頭は、脳は、心は今の君なのか?」
「否だ。君はこっち(前の切り離された頭)。ココでおしまい」
という風に、佐藤は話します。

 

前の頭が本当の君で、新しく作られた頭は君じゃない。
これによって“亜人は死ぬ”という。

 

 

この“亜人の死の定義”に当てはまるのが、中村慎也です。

彼はバイク事故で自分が亜人だと気付き、さらにこの時に頭が生え変わっていました。

 

物語後半で、ヘルメットに残っていた自分の頭部と対面させられる慎也。
自分の前の頭を見た慎也はこう言います。
「俺はとっくに、俺ですらなかったんだ…」

 

この中村慎也事件での頭の生え変わりについて、不思議に思ったことがあります。

慎也はバイク事故で頭が生え変わった後も、以前のままの記憶で行動して違和感なく過ごしていました。
裕介とも普通に会話をして、慎也は慎也なのに、どうして「とっくに俺ですらなかった」と言ったのか。

 

亜人は頭も再生して新しく作られるから、身体の状態としては死んではいないのに。
新しく頭が生え変わることが、どうして“死ぬ”ことになるのか。

 

 

記憶と心と意識

そんなことを考えていたら、ちょうど亜人最新話で断頭についての説明が出てきました。

 

その説明では…。
 新しい頭部にまったく同じ記憶・心は作られるが、離れた頭部から意識が抜け出し、新しい頭部に移るわけではないとありました。

 

記憶、心、意識。
哲学的&心理学的なややこしい話になってきました。
それぞれについて考えてみます。

 

記憶はわかりやすいですね。
慎也の例でいうと、短期的な記憶も含めて、バイク事故を起こす前のことや裕介との昔の記憶など。

 

残りの心と意識が、漠然として違いがよくわからない。

辞書で調べると、心は『人間の精神作用のもと。知識・感情・意志の総体』

意識は『心が知覚を有しているときの状態。自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと』とありました。

 

 

……なるほど、よくわからん。
意味が色々ありすぎて、この辺りから調べていて頭痛がしてきました。

 

自分なりにざっくり解釈した心は、感情の喜怒哀楽や何か物事に対して感じ起こるもの。
慎也の例でいうと、自分が亜人だと気付いた後の不安・恐怖・葛藤・苦悩する気持ち。

 

意識は、『自分が自分である』と認識する主観的なもの。
慎也の「俺は中村慎也だ。俺は俺だ」と認識する自我のこと。

 

このなかで意識に注目してみると、頭の生え変わり=死の定義が何となくわかりました。
ほんと何となくですが。

 

自分は何者なのか

頭が生え変わって同じ中村慎也だとしても、他者の視点と慎也自身の視点で意味が違ってくるんですね。

 

他者から見ると、以前と変わらない外見と記憶をもっているバイク事故後の慎也は、死んでいるとは言いにくいです。
バイク事故を起こす前と変わらない、同じ慎也だと思ってしまう。

 

これが慎也自身の視点からすると。
バイク事故で頭が生え変わる前が本当の自分、これまでの『俺は俺だ』と認識していた中村慎也。
あのバイク事故で、これまでの中村慎也は死んでしまった。

 

ヘルメットに残っていた自分の以前の頭部を見せられて、自分は中村慎也だと認識していたが、実は『中村慎也』という記憶・心をもった別の存在だった。

 

もし自分だったら…と想像すると、ちょっと怖いですね。
これまで普通に暮らして自分は自分だと思っていたのが、実は同じ外見や記憶・心をもつ別の存在だった。
では、自分は何者なのか。

 

断頭によって新しく頭が作られることは、同一性(アイデンティティ)が関係しているようです。

 

たとえ新しい頭が作られても、それは今『私は私』と認識している私じゃない。
『私は私』と認識している私は、切り離された頭の方。

そうなるとやはり、「断頭で頭が新しく作られること=亜人は死ぬんだ」となるようですね。

 

断頭について、こちらの記事も合わせてどうぞ。
亜人とスワンプマン【同じ人物と言えるのか?】

 

亜人は何回まで生き返るのか

断頭の話はこの辺で終わらせて、別のちょっと違う話です。

 

6巻で攻がIBMを出せるようになるため、イイ感じの死に方を実行しようとする場面で、こんな台詞を言います。

「だって、もしかしたらだぜ?次は生き返んねーかもしんねーじゃん」

 

それに対して圭は、2000回死んだ記録があるという中国の亜人の話をします。
うわさ程度なので、どこまで信憑性があるか不明ですが…。

 

亜人は何回まで生き返ることができるのか。
無制限なのか、攻が言うように限度があって、あるところで突然生き返らなくなってしまうのか。

生き返るつもりでリセットしたのに、うんともすんとも言わずそのまま…だったら嫌ですね( ;∀;)

 

この中国の亜人の話が本当なら、2000回は死んでも大丈夫ということになります。
2000回って無駄遣いしなかったら結構多いよ!

 

そういえば、初めて確認されたアフリカの『神の兵』と呼ばれていた亜人は、今も生きているのだろうか。
17年前だから、今も生きていたら相当な回数死んでいるはず…。
佐藤さんも結構回数が多そうな感じですが。

 

無制限だとしても、何回も何回も生き返らなきゃいけないのもしんどいですね。

エンドレス我慢耐久レースに強制参加させられているわけですから。
誰か一人くらい「もう休みたい(´Д`)」って、思う亜人が出てきてもおかしくない。

 

 

まとめ

断頭で死ぬことについて、調べれば調べるほど、どんどん専門用語が出てきて「なるほど、なるほど。うん。よくわからんw」状態になりました。

解釈があやふやな所もあるので、何となくこんな感じと思ってもらえれば。

 

そういえば、亜人には無力化の話もありますね。

ドラム缶に詰められて監禁されるとか、酸素のない穴に落ちてエンドレス復活と死を繰り返すとか。
山奥でエンドレス餓死と復活もそうですね。

これは死ぬより鬼畜残酷すぎる(゚∀゚)!

 

亜人はバトル・サバイヴ・サスペンスと思っていましたが…。
実はみんなが我慢耐久レースに出場している熱血なストーリーだったらしい。
優勝したら何がもらえるんでしょうね。

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