累-かさね-の最終回(結末)について【因果応報とアイデンティティ】

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

この羽生田の驚いた顔!
累がどんな表情で羽生田に「ありがとう」と言ったのか、めちゃくちゃ気になる。

 

『累-かさね-』の最終回、結末について感想やら考察を書いてみました。

 

以下、最終回の結末ネタバレがあるので注意してください。

 

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罪と報い

累の最後の舞台『宵暁の姫』
その最終公演を終えた後、本当のクライマックスを迎えます。

 

『いざなにも透世にも翻弄されることなく、私たちは私たちのけじめをつけなければ』

14巻で累はこれまでの自分の行いに対し、けじめをつけるため、ある行動を起こします。

 

 

母(いざな)が選ばなかった道の果てに何が見えるのか。
累は口紅を捨て、素顔のままで舞台に立つことを決心します。

 

怖れや不安、羞恥心や劣等感を抱えながらも、他の役者たちと稽古を続け、『宵暁の姫』の本番を迎えた累。
しかし、舞台初日は演技が思うように出来ず、悔しさを残した結果になってしまいます。

 

その後、2日目の上演が終わったあとで、羽生田は最終公演にワンシーン追加すると言います。
追加の最終場面に出るのは累一人。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

そして最終公演日に、累がそのラストシーンを演じきることで、『宵暁の姫』の舞台は見事に成功します。
累は素顔の『淵かさね』として、観客から拍手を向けられて、舞台は幕を閉じます。

 

 

上演後の観客がいなくなった舞台で話す羽生田と累。
これからも累と舞台を作っていきたい、アイデアが湧いて仕方がないと話す羽生田。
そんな羽生田に累はキスをして、礼を言います。

 

「ありがとう、羽生田さん。私を舞台(ここ)に連れてきてくれて」

 

累が一体どんな顔で羽生田にこれを言ったのか。
とても穏やかで、自然な笑顔だったんじゃないかと思います。
羽生田が驚くぐらい。
(キスより累の表情に驚くってどういうことw羽生田さん)

 

<追記>
コメント欄で教えていただきましたが、単行本のカバー下に、このときの累がどんな表情だったのか描かれているようです。気になる方はぜひ見てみてください!

 

 

劇場を出た累を待っていたのは…野菊とニナの母親(丹沢紡美)でした。
累の最後のけじめ。
かつてニナを死へと追い込んでしまった、その罪と向き合うことでした。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

舞台の稽古が始まる前、累は野菊にある頼み事をしていました。
ニナの母親に、ニナの日記を渡して、すべて真実を話すことを頼んでいたのです。

 

累がニナの心を病ませて追いやり、命を絶とうとしたニナは植物状態になり、最終的に野菊がニナの願いを叶えて命を奪うことになりました。
累と野菊は互いの罪を、ニナの母親の手に委ねることにしたのです。

 

「やっぱり私は間違っていなかったのね」
すべてを知ったニナの母親の手には、刃物が握られていました。
その後、累と野菊はどうなったのか。

 

 

ニナの母親によって累は喉を裂かれて殺され、野菊も腹部を刺されてしまいますが、駆け付けた天ヶ崎によって野菊の命は助かります。

 

え、ちょ、なん…だって…えぇえ!?
わずか数ページで衝撃的な流血展開!
昼ドラで出てくるドロドロ愛憎ドラマのワンシーンみたい。

 

最終回で累はニナの母親に殺されてしまう哀しい最期になりますが、真実はもっと残酷で…。

 

この野菊と累が刺されたとき、ニナの母親(丹沢紡美)は『累がただ死ぬのでは分に合わない。許せない』と考え、口紅と互いの血を使って累と口づけを行い、自らと累を永久交換したのです。

 

いざなも行わなかった永久交換の危険性とは。
これは顔だけでなく、元の一切を残さずに全身をすり替えるというものでした。

 

 

そのため、あの場で殺されて絶命した累の中身は、ニナの母親。
そして、淵かさねを殺したニナの母親(丹沢紡美)の中身は、累という結末になってしまったのです。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

最終公演後、累が劇場を出たわずか数ページの間に、「えええぇぇぇ??」という衝撃的な急展開になってしまうんですね。

 

丹沢紡美となった累は、年を経て老いた身体と淵かさね殺害の前科と、世から離されて孤独に生きる日々を送ることになります。
これが累の罪に対する報い、罰でしょうか。
まさに因果応報。

 

淵かさね(自分)を奪われ、別人として孤独にただ生きる。
自分を忘れ去られる恐怖と寂しさを感じながら。
なんて哀しい結末…。

 

 

しかし、別人として生きる累は、身の内の淵かさね(自分自身)が褪せず、むしろ時が経つほど鮮やかに克明に輝くと感じます。

 

これまで醜い容姿で、『美しくなりたい』『自分ではない別人になりたい』と強く願っていた累が、最後には自分自身を強く望む結末になるんですね。

 

なかなか皮肉というか、容赦ない結末です。
因果応報とはおそろしい。
前々から、『累-かさね-』はハッピーエンドで終わらないだろうな…とは思ってたんですが、まさかこんな予想斜め上の結末とは。

 

疑問点と個人的な解釈

さて、この衝撃的な結末。
疑問に思ったことがあります。

 

ニナの母親(丹沢紡美)は、なぜ永久交換の方法を知っていたのか。

 

野菊がニナの日記を渡して真実を話したときに、永久交換についても話したのか。
でも、口紅を使っての交換のことは話しても、永久交換の方法まで説明するのは不自然だなと思いました。

 

 

となると、『宵暁の姫』の最終場面。
宵が暁を刺して、互いの血を日紅(口紅の粉末)に含ませ、宵が暁に口づけをするという場面があります。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

この場面を見たことで、ニナの母親も同じようにやってみせた…ということでしょうか。
ちょっと唐突だけど。
数ページで急展開になり、ニナの母親が迷いなく永久交換の方法を実行するので、「なぜ?」と疑問には感じました。

 

 

もうひとつ。
一番最後の場面です。
時を経て、丹沢紡美となった累が暮らす家の前に現れた人物…羽生田の後ろ姿。
この羽生田が丹沢家の前に現れた場面で、物語は終わります。

 

え( ゚Д゚)!
ここで終わり!?

 

この気になる場面で『累-かさね-』は終わります。
羽生田が何を思って、何をしに丹沢紡美(累)が暮らす家に現れたのか。
後ろ姿のため羽生田の表情が分からず、台詞もないため、すべてが謎。

 

 

これは、読者の想像にまかせるということでしょうか。
それぞれの判断に委ねると。
めっちゃ気になるわー。
考えてしまいますわー。

 

自分なりに解釈して考えてみました。
この先は私の勝手な妄想を含みますので、不快に思われる方もいるかもしれません。
ご注意ください。

 

かさねる

一番はじめに思いついたのは、少しでも希望を感じる終わりだった場合。

 

羽生田は時間を掛けて、淵かさね殺害の事件について独自に調べ、現在の丹沢紡美の正体が累だと真実を知った上で、現れたという場合です。

 

これだと、誰にも知られず別人として孤独に生きる累にとって、自分のことを知っている羽生田が現れたことで、少しでも救いのあるものになります。
亡くなった累を探し続けていた羽生田にとっても、これは希望を感じる終わりです。

 

 

では、別の展開。
羽生田は丹沢紡美の中身が累と知らないまま、居所を突き止めてやって来た場合。
これだと、何かこう…良からぬことが起こりそうな…危険な予感がします。

 

物語のエピローグで、累を失った羽生田は、「お前は死んでない!お前は…俺とまた舞台をやるんだ」と錯乱して累を探し続けていました。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

そんな状態の羽生田が、累を殺した丹沢紡美の家に現れた。
おそらく、累を失った哀しみや怒りで、丹沢紡美とまともに会話出来ないんじゃないかと思います。

 

最悪、羽生田が丹沢紡美を手に掛けてしまうんじゃ…という恐ろしい展開を想像してしまいました。
うわぁぁ、そりゃあかんでしょ。
だって、それは丹沢紡美じゃなくて、羽生田が探して焦がれた累本人なのに…。

 

 

このバッドエンドだと、えげつないです。
羽生田は累本人だと知らずに、丹沢紡美を手に掛ける。
それは、かつて羽生田がいざな本人と知らず、淵透世を手に掛けたときと同じように。

 

これはえぐいわ。
累自身も自らの正体を明かさず、運命を受け入れるとしたら。
まさに、いざなの最期の足跡をかさねる結末になります。

 

もしこんなことになったら、真実を知らず一番哀しいのは羽生田でしょうね…。
これはあまりにも残酷な展開。
バッドエンドというか、因果応報の極みのように感じますね。

 

 

他に思いついた展開。
羽生田は丹沢紡美の正体が累とは知らずやって来て、累自身が自らの正体を明かすという場合。

 

これも少しでも救いを感じるものです。
累が自らの正体を明かすことで、累にとっても羽生田にとっても、少しでも希望を感じることの出来る展開です。

 

しかし、丹沢紡美として生きる累の台詞で、『自らの正体も口紅の力のことも、誰にも話すつもりはない』とあります。
累の強い意志と覚悟を感じる言葉です。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

ということは、羽生田が目の前に現れても、累は自らの正体を明かさずに運命の流れに身をまかせるかもしれませんね。

 

羽生田がどんな行動を起こすのか。
最後のページでは後ろ姿で台詞もないため、彼が何を思って現れたのか、本当に想像するしかないです。

 

 

あ、他にも思いついたのが、かつてのニナと同じ足跡をかさねるという展開。
これもバッドエンドで、ニナが野菊に『自らの死を望んだ』ように、自分を奪われた累も羽生田に同じことを望む…という鬱な展開も考えてみました。

 

これも因果応報の極み。
自分を奪われたニナを死へ追い込んだ累が、自らも自分を奪われ、最終的にはニナと同じように死を望むという結末。

 

うーん…暗いですね!
哀しいですし、これもバッドエンドになってしまいますね。

 

それに、累は前に一度自ら命を絶とうとしましたが、生きる理由を見い出し、自分なりにけじめをつける覚悟をもって行動を起こしました。

 

そんな累が再び死を望むだろうか。
あるがままに、運命を受け入れるなら分かるですけど、何かこれは違うかなと思ってしまいます。

 

 

自分なりにいくつか考えてみましたが、どれもしっくり来るような来ないような…本当にこの終わりは読者の想像にまかせるといった感じがしますね。

 

時を経て、丹沢紡美(累)が暮らす家の前に現れた羽生田。
良い雰囲気の終わりにも見えるし、何かが起こりそうな不穏な終わりにも見える。
何とも気になる絶妙な終わり方です。

 

願わくば、羽生田が現れたことで累にとって、少しでも『孤独ではない。自分は忘れ去られてない』と感じるものになってほしい。

 

私が私を望む

この『累-かさね-』という物語は、美醜がテーマです。
醜い容姿のため、幼い頃から人々に見下され虐げられてきた淵かさねが、口紅を使って美しい顔を奪い、自らの望む名声や愛情を手に入れていくというストーリー。

 

そのため、美しさとは醜さとは。
優越感または劣等感。
嫉妬や羨望といった感情が、作中でよく描かれていました。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』1巻)

 

そうした美醜のテーマともうひとつ、『累-かさね-』にはこんなテーマも実は含まれているんだなと、最終回を読んで感じたことがあります。
それは自分とは何者か、私は私という『自己同一性(アイデンティティ)』です。

 

 

累は口紅をぬって相手と口づけをすることで、自らの醜い顔と、その相手の美しい顔とを入れ替えます。
ニナと口づけをした場合は、美しいニナの顔と素晴らしい演技力をもつ累によって、女優丹沢ニナが誕生しました。

 

顔はニナで体は累。
名前は丹沢ニナだけど、中身は淵かさね。
二人が手を組んだことで虚構の女優が生まれます。

 

これは、お互い相手を利用して自分の望みを叶えたようで、しかしどちらも心が満たされない結果になってしまいます。

 

 

累に顔と人生を奪われたニナの末路は…。
舞台に立ち、人々から賞賛され名声を築いていく女優丹沢ニナは自分自身ではない。
実際には、自分は舞台に立っておらず、別人が自分の代わりに丹沢ニナを演じているだけ。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』3巻)

 

これは哀しく空虚です。
そんな日々が続いたことで、ニナは心を病んでいき、自分自身を殺そうとまでしてしまいます。

 

 

では、美しいニナの顔を手に入れて、舞台に立ち続けた累の末路は…。
これも最初は人々から賞賛され、美しさによってもたらされる優越感、幸福感を存分に感じていた累ですが。

 

やがて、美しい誰かの姿でいることが苦痛になっていきます。
どれだけ人々から賞賛や拍手を送られても、それは淵かさね自身に向けられることはないから。

 

ニナと顔を入れ替えて丹沢ニナになっても、野菊と顔を入れ替えて咲朱になっても、累はずっと誰かとなって演じ続けなければならない。
淵かさね自身が誰かに見てもらえることはない。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』11巻)

 

これも哀しいし空虚です。
結局、累は口紅を使うことをやめ、最後には自らの素顔のまま舞台に立ちたいと望むようになります。

 

この身がどう変わろうと、私が私であることに変わりはない。
美しくても醜くても、私は私。

 

いざなも累も、最初は醜い自分自身を嫌悪し、生きるために美しさを欲しましたが、最後には自分自身に立ち戻りたいと思うようになりました。

 

 

丹沢紡美となった累の最後の独白。

何せ、醜くとも美しくとも
別人として生き
老いてゆく今ですら

 

私の身の内に
かさね(私)は褪せず
むしろ、時が経つほど
あざやかに克明に、輝く

 

私が私を望む限り

 

 

作品を読んでいると美醜のテーマに意識が向きがちですが、そのテーマの先にあるのは『私は私』という自己同一性(アイデンティティ)でした。
いざなや累、野菊やニナも、どの人物も自分自身の在り方について悩み、苦しんでいました。

 

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(松浦だるま『累-かさね-』14巻)

 

自分ではない誰かを演じ続ける。
自分ではない誰かをかさねられる。
自分を奪われ、自分が自分でなくなってしまう。

 

そうした自分という存在について悩み、苦しんでもがいて、それぞれが導き出した答え。
これに正解はなくて、哀しい結末になることがあっても、それが彼女たちにとって『私は私』と感じる選択であれば…。

 

 

気が付いたら長くなってしまいました。
もう少し短く書こうと思ったのに、最終的にグダグダになってしまいましたね。

 

まとめとして。
14巻の最後の結末を読んで感じたことは、累の罪に対する報い、因果応報のおそろしさ。
それと、自分自身を強く望む累の姿が印象的でした。
何よりもラスト、羽生田が現れた真意とその後が気になる。

 

『累-かさね-』は感情描写が独特で鋭く本質を突いていて、女の美醜をテーマにした物語のようで、実は深い『自分自身について』という哲学的な一面も描いていました。

8 件のコメント

  • こんにちは。記事を読ませて頂いて最終巻をまた読み返して楽しめました。

    2度美味しかったです。ありがとうございます。

    ところで、気付いてらしたらすみませんが、カバーを外してご覧になった事はありますでしょうか。

    最終巻のカバー下にかさねがどんな表情でありがとう、を言ったのか。私はこのカバー下の表情じゃないかと思います。

    ラストのその後は作者さんのTwitterなども見ましたが解りませんでした(´・ω・`)かさねの名の如く、いざなと同じように最後まで別人を演じ続け裁きを受ける最後を遂げたのかなぁと私は思いました。

    カバー下は本当にオススメです!宜しければ見てみて下さい♪

  • 匿名さんへ
    コメントありがとうございます。
    記事を読んで楽しめたとのことで嬉しいです。

    単行本のカバー下に表紙と違うイラストがあることは知っていましたが、最終巻のカバー下にどのようなものが描かれていたのかは知りませんでした。
    私は電子書籍で購入していたので(;´∀`)

    最終巻のカバー下は、あの『ありがとう』と言ったときの累なんですね。
    教えて下さってありがとうございます!

    ちょうど今日、単行本のカバー下を見る機会があり、私も累の表情を見ることができました。
    累のこんな表情が見れてよかった…。
    これは確かに見るべきですね!

    ラストのその後については、累もいざなと同じようになってしまうのかなと想像してしまいますよね。
    あの累や羽生田の状況からして、そんな展開になるような気がしてしまって…。
    それぞれの想像にまかせる終わり方なので、何か少しでも救いがあってほしいなぁとも思っています。

  • 先日の匿名さんです(。・ω・。)ゞ
    再び失礼致します。かさねの表情が伝わった様でこちらも嬉しく思いました。追記恐縮です((゜Д゜;))が、記事もかさねの表情も見て下さる人が増えたら良いなと思います♪

    連載が終わったばかりですから、ラストの見解については今後作者さんからコメントとか出るといいですねぇ。調べてたら最終巻の舞台3日目に雨野さんらしき人が見に来てるとかも解りましたよ。言われるまでガチで観客の一部だと見落としてました。

    また宜しければ探して見て下さいw(^-^)/

  • 匿名さんへ
    再度コメントありがとうございます。
    いえいえ、こちらこそ教えていただけて嬉しかったです。

    最終公演の3日目に雨野さんらしき人が来てましたね!
    私も見つけたとき、「あぁ!雨野さんが来てる…!もう観ることはないって言ってたのに、ちゃんと来てくれてる!(´;ω;`)」って感動してました。

    最終回のラストについては、作者さんから何かコメントがあるかもしれませんね。
    また、ラストのその後はこうなんじゃないかな~と、読者それぞれで色々と想像するのも楽しいですしね。

  • 私はあのラストを読んだ直後の第一印象としては羽生田が紡美の正体が累である事を知って
    やっとの思いで捜し当てた希望を感じさせるラストだと思いました。
    その一コマ前の野菊のセリフ(うろおぼえですが)「どんなに時が経とうと愛しい人を探し続けていくだろう・・・(だったかな?)」という言葉の後に被さってあの羽生田の場面ですので、これはやっぱり羽生田が
    紡美の正体が累だと知って捜し当てた場面だというのを暗示した描写だと思いますね。想像ですがきっと松浦だるま先生も「累を不幸のままで終わらせるのは余りにも可哀想だ!せめて少しでも救いを感じさせてあげたい!」そういう意味を込めて描いた場面なんだと思いますね。私としては。

  • それともし仮に羽生田が紡美の正体を知らず殺しに来たとしても、羽生田と再会した途端、紡美(累)は
    きっと思わず羽生田に喜びの表情を見せてしまうでしょう。その表情を目にした羽生田はそれが最終巻カバー下の累の表情である事を思い出し、紡美の正体が累である事を悟るんじゃないかと思います。
    そんな展開が思い浮かびます。

  • 泥縄さんへ
    コメントありがとうございます。

    私も最初にあのラストを読んですぐは、羽生田が紡美の正体が累だと知った上で現れたと思いました。
    泥縄さんが言われているように、最後に現れた羽生田に野菊の独白が重なっていることから、これは希望を感じさせる終わりだと思いましたね。

    しかし読み返してみて、ラストに現れる前の羽生田の精神状態が『錯乱し、狂気の中で累を探し続けている』とあったため、「こ、これは…まさか( ゚Д゚)…いざなと同じ結末に?」という不穏な終わりもつい想像してしまいました。
    救いがない終わりでも、これはこれで累らしくてありかなぁと(;´∀`)

    羽生田と再会した紡美(累)がどんな表情を見せるのか、というのは気になります!
    やはり、別人を装い感情を抑えようとしても、喜びの気持ちは大きいでしょうし。
    カバー下のあの表情を見せたかもしれませんね。

    改めて、このラストは読者それぞれで受け取り方が違っていて、考察しがいがあって面白いなと思いました。

  • コメントありがとうございます。

    あの羽生田が錯乱してる場面はあくまで野菊の視点であって
    野菊からは羽生田が狂ってしまっただけに見えたのでしょうが
    私としては累と長い間すごし、口紅の秘密や透世の凄絶な最後などを経てきたあの羽生田が
    簡単に発狂してしまうとは私は思えませんね~w
    羽生田がそんなヤワだと思えません。確かに累の肉体が死んでしまったのは羽生田にとって
    ショックは大きかったでしょうが、透世の最期を経験してきた羽生田ですからきっと辛うじて
    正気は保っていたんじゃないでしょうか?それにあの場面は「累は生きてる!!」と叫んでいたことから
    恐らく累が永久交換していた事に気づいた場面だったのではないでしょうか?

    あと最後の紡美の家に立つ羽生田の場面で、その前の回の紡美になった累が住む家の空がドンヨリと薄暗かったのに対して、ラストの紡美の家の空は爽やかに晴れ渡っていてどこか明るい感じなのも、あれはだるま先生なりのハッピーエンドだったと思います。

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