(幸村誠『ヴィンランド・サガ』1巻)
最初の頃の少年誌っぽい絵柄も味があって良いと思う。
幸村先生のインタビュー記事を読んでいたとき、「おや?これは…」と思う内容があったので、それについて紹介します。
以下、ネタバレを含みます。
ハードボイルドな復讐譚
かなり昔のインタビュー記事で、2008年のものなので今から10年以上前ですね。
画像は見れないので文字だけになってしまいますが、先生が漫画家を目指すようになった経緯やアシスタント時代の話、デビュー作『プラネテス』についてなど興味深い内容を語られています。
その中の(その3)で先生が話されていた内容です。
インタビュー当時、息子さんが1歳半だったという幸村先生は「親として、その子に何を読ませたり見せたりしてあげたら良いかと考えたとき、やなせたかし先生が原作の『チリンの鈴』というアニメ映画を見せたい」と話されています。
この『チリンの鈴』という作品がどんなものなのか、気になったので実際に観てみました。
アンパンマンで有名なやなせたかし先生が原作の絵本を出しています。
こんな感じの可愛らしい絵本。
あらまぁ、かわいい。
アニメ映画も子羊チリンの愛らしい姿が表紙で描かれていますが、これがなかなかハードボイルドな内容なんですよ。
ネットで検索しても、「ハードボイルドだ」「表紙詐欺だ」とか可愛い絵柄とのギャップが激しいとみんな言っています。
で、気になるあらすじはこんな感じです。
牧場で暮らす子羊チリンはこの春生まれたばかり。
チリンの首には、谷底へ落ちてもすぐわかるように金色の鈴がついていました。
ある夜、狼のウォーが山を下りて来てチリンの牧場を襲撃します。
チリンのお母さんは、チリンを自分のお腹の下に庇ってウォーに殺されてしまいます。
お母さんを殺された哀しみと怒りに支配されるチリン。
ウォーに復讐すると決めたチリンは「僕は弱い羊ではなく強い狼になりたい」と言い、強さを手に入れるため、憎い仇であるウォーに弟子入りすることにする。
厳しいウォーの修行に耐えるチリンは、次第に逞しく成長し強くなっていく。
やがて、チリンは狼とも羊とも言えない異形の獣へと姿を変えていった…。
こんな感じのあらすじです。
子ども向けの可愛らしい絵柄なのに、なかなかハードな内容。
そして、このあらすじを読んで「おや?」となりますね。
親を殺され復讐するために、憎い仇である相手のもとで行動を共にするようになる。
『ヴィンランド・サガ』のトルフィンとアシェラッドの関係に似ていますね。
(幸村誠『ヴィンランド・サガ』3巻)
トルフィンも父トールズをアシェラッドに殺され、復讐するためにアシェラッドを決闘で正々堂々と倒すと誓い、以後アシェラッド兵団の一員となる。
やがて、子どもだったトルフィンは成長し強さを身につけるが、人を殺すことも躊躇わないヴァイキングへと変わってしまう。
ストーリーとして、とても考えさせられますね。
主人公が仇となる相手のもとで復讐するために強さを手に入れ、変貌していく様はなかなか興味深いなぁと思います。
羊でも狼でもない獣の末路
さて、この『ヴィンランド・サガ』と『チリンの鈴』の復讐譚がどんな結末を迎えるのか。
それぞれの結末は違います。
両作品について書いていきますので、物語のネタバレについて知りたくないという方はこの先注意してください。
まず、『チリンの鈴』
ウォーのもとで数年間修行を積んで強さを手に入れ、異形の獣となったチリン。
ある夜、ウォーと共に羊小屋を襲撃することになったチリンは、かつて自分が生まれた牧場へと向かいます。
そこで羊を襲おうとしたチリンは、子羊を守ろうとする母羊の姿を見ます。
かつての自分と重ね合わせ、羊を襲うことが出来ないと悟ったチリンは、小屋を襲撃しようとするウォーの前に立ちふさがります。
チリンはウォーの身体に角を突き刺し、本来の目的である復讐を果たすことに成功。
ウォーはチリンに殺されたことに喜びを感じながら、息を引き取る。
母の仇を討ち、ウォーを殺したチリン。
しかし、その心は晴れない。
ウォーが死んでわかった。
チリンにとって、ウォーは師であり父であったと。
もう羊として生きていくことは出来ず、牧場に戻ることも出来ない。
チリンは泣きながら、どこともなく山を越えて行った。
今でも激しい嵐の夜は、かすかに鈴の音が聞こえてくる。
しかし、チリンの姿を見たものは誰もいなかった。
終わりが切ない。
とにかく哀しみに包まれています。
実は羊小屋を襲撃する場面で、映画の方と絵本の方と少し違う部分がありますが、復讐の結末は同じです。
羊でも狼でもないチリンは、牧場の羊たちには恐れられ仲間として受け入れてもらえず、これまで行動を共にしていた狼のウォーも自らの手で殺してしまった。
見事チリンは復讐を遂げるがその心は晴れず、哀しみを抱えたまま孤独にチリンは生きることになる。
哀しい…なんて哀しい終わりなんでしょう。
映画で歌が流れるんですが、その歌詞も哀しくてメロディーが耳に残ります。
子どものときにこの作品を観たら、衝撃的で難しくてよくわからないけど、きっと印象に残る作品になっただろうなと思います。
アンパンマンのイメージと全然違うよ、やなせ先生。
子どもビックリするよ。
ハードボイルド過ぎるよ。
可愛い絵柄なのに、こりゃあトラウマ確定だ。
復讐の果てにあるもの
そして、『ヴィンランド・サガ』の復讐譚の結末について。
トルフィンの父の仇であるアシェラッドは、トルフィンではない者によって殺されてしまいます。
トルフィン自身の手で復讐を遂げることは出来なかった。
ここが『チリンの鈴』と違いますね。
死ぬ間際、アシェラッドはトルフィンに問います。
「お前…これから先、オレが死んでからその先…どう生きるつもりだ。トルフィン」
父の仇であるアシェラッドを殺し復讐を果たす、それだけを生きる目的としてきたトルフィン。
アシェラッドの問いに、トルフィンは答えることが出来なかった。
(幸村誠『ヴィンランド・サガ』8巻)
その後、奴隷となったトルフィンは生きる目的を見出せず、自分自身を見失ってしまう。
なかなか因果なストーリーですよねぇ。
復讐する対象が死んでしまったことで、生きる目的を見失い、どうしたらいいかわからなくなってしまう。
もし、トルフィンがチリンのように自らの手で復讐を遂げていたら、どうなっていたんだろう。
その後もヴァイキングとして生き、戦いの中で一生を終えたのか。
それとも、チリンのように孤独に生きることになったのか。
トルフィンは自らの手でアシェラッドを殺すことは出来なかったが、仮にチリンのように自ら復讐を遂げたとしても、その先どう生きていいか、何を目的にしたらいいかわからなかったはず。
(幸村誠『ヴィンランド・サガ』10巻)
どちらの作品も、復讐の果てには哀しさや虚しさがあるように感じます。
また、単純に「復讐は良くないダメだ」と主張しているのではなく、そこには復讐する側とされる側の複雑な感情も含まれています。
チリンが憎い仇のウォーを師として父としていたように、トルフィンにとってもアシェラッドは仇であると同時に師であり父だった。
それについては、幸村先生もこのインタビュー記事で話されていました。
【インタビュー】『ヴィンランド・サガ』幸村誠「『暴力が嫌い』を描きたかったら、描く世界は暴力に満ちたほうがいい。」【アニメ化&22巻発売記念!】
ウォーはチリンに狼として生きる厳しさ、強き者の孤独について教えます。
アシェラッドもトルフィンに生きる厳しさを教え、死ぬ間際に「本当の戦士になれ」と先へ進むよう導く言葉を残し、息を引き取ります。
チリンやトルフィンに強さと厳しさを教え、導く姿はやはり師であり父のようだなと思いますね。
そして、復讐を遂げてウォーを自らの手で殺したチリンは、自身がもう羊でも狼でもない存在になったと気付き、ウォーが死をもって教えた強き者の孤独を噛みしめます。
トルフィンもアシェラッドが死んだ後、彼をもう憎んではいないと気付き、彼の残した最期の言葉を思い出し、その先どう生きていくかの道を見つけます。
復讐する側とされる側だった関係が、長い間ともに過ごすうちに、互いに相手に影響を与えて何かしらの情を抱くようになっていた。
どちらも複雑な関係性が見えて、またその後の主人公たちの姿がそれぞれ違っていて面白いです。
『チリンの鈴』はハードボイルドで色々と考えさせられる内容なので、ぜひおすすめです。
子どものころにこの作品を観てみたかったなぁ。
まとめ
そいえば、『チリンの鈴』も『ヴィンランド・サガ』も復讐しようとする側の視点で物語が進んでいくんですよね。
チリンやトルフィンが復讐しようとした憎い仇は、いつの間にか自身の師であり育ての父でもあった。
逆に、ウォーやアシェラッドの視点から見てみると、どんな感じだったんでしょう。
自分を憎む子どもが自身のもとにやって来て、子どもながらに強さを身につけようとする。
最初は邪険に扱っていたが、それでも子どもは自分のもとから離れようとせず、貪欲に強さを欲していた。
やがて、共に過ごすようになった子どもに自身の人生哲学や生きる厳しさを教え、いつの間にか小さな子どもは逞しく強く成長していき…。
自分の子どもではない子どもが身近で成長していく様を見るのは、何とも不思議な感覚だったでしょうね。
それこそ、ゴルムの村でトルフィンと決闘をしたアシェラッドが「お前、背ェ伸びたなぁ。歳なんぼになった?」みたいな感じ。
久しぶりに親戚の子に会ったおじさんの台詞だよコレ。
トルフィンの決闘に何度も付き合ったり、生きる厳しさや人生哲学を教えたり、父親の仇かと思えば最期にその先の進むべき道を示したり。
拾ったガキだから殺られても惜しくないとか、トルフィンのことを邪険に扱っていたけど、何だかんだアシェラッドにとってもトルフィンは部下であると同時に、息子のような存在だったのでは。
互いに『ハゲ』『クソガキ』と罵り合ってる場面は、憎しみや敵意だけではない親しみが込められていたんじゃないかと思いますね。
やっぱり8巻の序章クライマックスは何度読んでも好きな場面。
コメント